我が天命と腹を括った田端さん、どんな復興を考えているのでしょうか?
北川 私も農業と陶芸をやりながら自分を深く掘り下げようとこの阿蘇へ工房を構えましたが、いまは私のところにもたくさんの方が生き方を求めてやってきます。そういう意味では、田端さんのやられていることと少し似ているところがあるかもしれませんね。
田端 本当のことを言えば、私の理想は先生のような暮らしなんですよ。大自然の中で静かに物づくりをしながら日々研鑽(けんさん)して暮らす。だから地位、名誉、財産、一切興味がありません。
何度も先生のような世界へ行こうとするのですが、天が行かせてくださらない。静かに暮らそうとするのに大勢の人が訪ねてきたり、問題のある子たちが頼ってくる。いまこの時代、この瞬間私をどう生かそうとしていらっしゃるのか。いまの自分は何なのだろうか。それを研究し、研鑽していったら自然といまの暮らしになりました。
北川 私がずっと追い求めているのは、人生の後半ではね、人に与えた罪と悲しみという人生の荷物をいかにして下ろすかということだなって思っているんです。人になしてはならないことと、なさなくてはならないことを見極めようとしているというか。
六十歳を過ぎてよく分かることは、人間として、魂としてその奥に流れている大きな力、この宇宙を流れている不思議な導きの存在に気づくと、なんて自由に生きていけるのだろと思う。
そうすると、田端さんがおっしゃったようにあまり物や金や地位はいらなくなる。それよりも人として、日本人として、自然に恵まれたこの阿蘇の地で水と大地に囲まれ、人のためにどれだけ尽くせるかということが一つの大きな使命だなぁと感じますよね。
田端 私はまだ先生のような境地には行っておりませんね。
いまは人のためというよりも、まず目の前のことに最善を尽くして一所懸命やろうと。そして「流れ」を読むことに全力を尽くすようになりました。その時、自分の意思は一切反映しません。
先生のように陶芸をやりながら静かに暮らしたいが、いまはその流れではない。そういう暮らしをするためには、まず国がしっかりしていないとダメだな、そのために自分ができることは何かあるだろう。そうやって自分のなすべきことに一所懸命最善を尽くしていれば、結果的に人のお役に立っているんじゃないかと思うのです。
北川 私は敗戦の混乱の中で生きてきて、貧しさ、失敗、蔑み(さげすみ)なんかもありましたしね。でもそれがあったから心の気づきのレベルが上がってきたのではないかと思います。
若い頃は気づかなかったけれども、三十歳を過ぎた頃から宇宙の奥にある力の存在に気づいてきた。これに気づく人と気づかない人がいて、気づかない人はずっとお金と地位と自分の名前を上げることに力を注いでしまう。田端さんのように自分の生きてきた意味を探ろうとする人たちは、そういう人たちと違うものを見るんじゃないかと思いますね。
だからその気づきのレベルをどこに置くか。心の中心軸をどこに持っていくかですね。
田端 そうですね、中心軸がしっかりしないとダメだと私も思います。それは武道しかり、家庭しかり、国家しかりです。
私は戦後の生まれですから、天皇崇拝の教育は一切受けておりません。しかし史実を紐解き、考えれば考えるほど天皇を中心とした日本の国のあり方が一番大切ではないかと思います。
いまたくさんの方が自殺しますが、私は数百万の借金が苦しくて命を絶つのではないと思う。それは民族としての誇り、国家を愛する心、他のために頑張ろうとする奉仕の心、先生のおっしゃるとおり、心の中心軸が定まっていないのです。ここに来るたくさんの子どもたちを見ても、両親の養育方針や夫婦の関係等、両親の心がきちんと定まっていないと子供の意識もまったく定まりません。
だからいま行政改革だ、教育改革だと言っていますが、結局それは枝葉末節(しようまっせつ)ですよね。根っこは精神です。精神が具現化していまの社会が成り立っているわけですから、いまの意識レベルで政治改革をしても、教育改革をしても何の役にも立たないのではないかと思わずにいられないのです。
今日はここまでの紹介とします。次回は「武士道教育の原点となった父の教え」というタイトルで紹介します。
前記事より続く 「対談―北川八郎&田端俊久」
北川 私も農業と陶芸をやりながら自分を深く掘り下げようとこの阿蘇へ工房を構えましたが、いまは私のところにもたくさんの方が生き方を求めてやってきます。そういう意味では、田端さんのやられていることと少し似ているところがあるかもしれませんね。
田端 本当のことを言えば、私の理想は先生のような暮らしなんですよ。大自然の中で静かに物づくりをしながら日々研鑽(けんさん)して暮らす。だから地位、名誉、財産、一切興味がありません。
何度も先生のような世界へ行こうとするのですが、天が行かせてくださらない。静かに暮らそうとするのに大勢の人が訪ねてきたり、問題のある子たちが頼ってくる。いまこの時代、この瞬間私をどう生かそうとしていらっしゃるのか。いまの自分は何なのだろうか。それを研究し、研鑽していったら自然といまの暮らしになりました。
北川 私がずっと追い求めているのは、人生の後半ではね、人に与えた罪と悲しみという人生の荷物をいかにして下ろすかということだなって思っているんです。人になしてはならないことと、なさなくてはならないことを見極めようとしているというか。
六十歳を過ぎてよく分かることは、人間として、魂としてその奥に流れている大きな力、この宇宙を流れている不思議な導きの存在に気づくと、なんて自由に生きていけるのだろと思う。
そうすると、田端さんがおっしゃったようにあまり物や金や地位はいらなくなる。それよりも人として、日本人として、自然に恵まれたこの阿蘇の地で水と大地に囲まれ、人のためにどれだけ尽くせるかということが一つの大きな使命だなぁと感じますよね。
田端 私はまだ先生のような境地には行っておりませんね。
いまは人のためというよりも、まず目の前のことに最善を尽くして一所懸命やろうと。そして「流れ」を読むことに全力を尽くすようになりました。その時、自分の意思は一切反映しません。
先生のように陶芸をやりながら静かに暮らしたいが、いまはその流れではない。そういう暮らしをするためには、まず国がしっかりしていないとダメだな、そのために自分ができることは何かあるだろう。そうやって自分のなすべきことに一所懸命最善を尽くしていれば、結果的に人のお役に立っているんじゃないかと思うのです。
北川 私は敗戦の混乱の中で生きてきて、貧しさ、失敗、蔑み(さげすみ)なんかもありましたしね。でもそれがあったから心の気づきのレベルが上がってきたのではないかと思います。
若い頃は気づかなかったけれども、三十歳を過ぎた頃から宇宙の奥にある力の存在に気づいてきた。これに気づく人と気づかない人がいて、気づかない人はずっとお金と地位と自分の名前を上げることに力を注いでしまう。田端さんのように自分の生きてきた意味を探ろうとする人たちは、そういう人たちと違うものを見るんじゃないかと思いますね。
だからその気づきのレベルをどこに置くか。心の中心軸をどこに持っていくかですね。
田端 そうですね、中心軸がしっかりしないとダメだと私も思います。それは武道しかり、家庭しかり、国家しかりです。
私は戦後の生まれですから、天皇崇拝の教育は一切受けておりません。しかし史実を紐解き、考えれば考えるほど天皇を中心とした日本の国のあり方が一番大切ではないかと思います。
いまたくさんの方が自殺しますが、私は数百万の借金が苦しくて命を絶つのではないと思う。それは民族としての誇り、国家を愛する心、他のために頑張ろうとする奉仕の心、先生のおっしゃるとおり、心の中心軸が定まっていないのです。ここに来るたくさんの子どもたちを見ても、両親の養育方針や夫婦の関係等、両親の心がきちんと定まっていないと子供の意識もまったく定まりません。
だからいま行政改革だ、教育改革だと言っていますが、結局それは枝葉末節(しようまっせつ)ですよね。根っこは精神です。精神が具現化していまの社会が成り立っているわけですから、いまの意識レベルで政治改革をしても、教育改革をしても何の役にも立たないのではないかと思わずにいられないのです。
人間学を学ぶ月刊誌「致知」2007.1月号より、北川八郎書籍
今日はここまでの紹介とします。次回は「武士道教育の原点となった父の教え」というタイトルで紹介します。