中村文昭さんの講演を聴くと、「田端さんて、どんな人?」って、思う人が多いんじゃないかと思います。私も機会があれば、一度講演を聴いてみたいと考えている一人です。そんなことを考えている中、人間学を学ぶ月刊誌「致知」に出会い、今年の1月号の特集になんと田端さんの対談記事が掲載されていたのです。以下に、その内容を少し紹介します。
対談―北川八郎&田端俊久
阿蘇の外輪山中で静かに陶器づくりと農業を営む北川八郎氏のもとには、いま心身ともに悩みを抱えた方が大勢相談に見えるという。一方、東京・六本木の夜の町で事業を展開した後、同じく阿蘇に居を構え、日本の心の復興に努めている田端俊久氏。
ともに若い頃から人生の意味を求め、導かれるように熊本の阿蘇へ辿り着いたお二人が、それぞれの道を通して語る養心養生の道…。
陶芸家
北川八郎(きたがわ・はちろう)
昭和19年福岡県生まれ。38年小倉高校を卒業後、防衛大学校へ入学するも退学。カネボウ化粧品に勤めるが、人生の答えを求めて退社。海外放浪の後、40歳で熊本県阿蘇の満願寺温泉はずれに穴窯を築窯。自然灰釉の器を創作する一方、自然農業に勤しむ。40日を超える2度の完全断食を体験する中で魂の存在意義、生き方の法則を解悟。著書に『繁栄の法則』『ブッダのことば「百言百話」』『あなたの生き方を変える断食の本』などがある。現在本誌に「三農七陶」を連載中。
大和精神修養道場 賢人塾代表
田端俊久(たばた・としひさ)
昭和35年熊本県生まれ。54年熊本高校卒業。19歳より事業を始めるが失敗。24歳で再度事業を起こし、成功させるも27歳で胃がんとなり、人生を方向転換。郷里熊本へ帰り、平成8年熊本県阿蘇市に大和精神修養道場「賢人塾」を設立し、日本の伝統文化の復興に尽力するとともに、将来の日本を背負う青少年の育成にあたっている。
今日はここまでの紹介とします。対談内容は、これから少しづつ載せていきます。次回は「日本人精神の復興に命捧げる覚悟で」というタイトルで紹介します。
対談―北川八郎&田端俊久
阿蘇の外輪山中で静かに陶器づくりと農業を営む北川八郎氏のもとには、いま心身ともに悩みを抱えた方が大勢相談に見えるという。一方、東京・六本木の夜の町で事業を展開した後、同じく阿蘇に居を構え、日本の心の復興に努めている田端俊久氏。
ともに若い頃から人生の意味を求め、導かれるように熊本の阿蘇へ辿り着いたお二人が、それぞれの道を通して語る養心養生の道…。
陶芸家
北川八郎(きたがわ・はちろう)
昭和19年福岡県生まれ。38年小倉高校を卒業後、防衛大学校へ入学するも退学。カネボウ化粧品に勤めるが、人生の答えを求めて退社。海外放浪の後、40歳で熊本県阿蘇の満願寺温泉はずれに穴窯を築窯。自然灰釉の器を創作する一方、自然農業に勤しむ。40日を超える2度の完全断食を体験する中で魂の存在意義、生き方の法則を解悟。著書に『繁栄の法則』『ブッダのことば「百言百話」』『あなたの生き方を変える断食の本』などがある。現在本誌に「三農七陶」を連載中。
大和精神修養道場 賢人塾代表
田端俊久(たばた・としひさ)
昭和35年熊本県生まれ。54年熊本高校卒業。19歳より事業を始めるが失敗。24歳で再度事業を起こし、成功させるも27歳で胃がんとなり、人生を方向転換。郷里熊本へ帰り、平成8年熊本県阿蘇市に大和精神修養道場「賢人塾」を設立し、日本の伝統文化の復興に尽力するとともに、将来の日本を背負う青少年の育成にあたっている。
今日はここまでの紹介とします。対談内容は、これから少しづつ載せていきます。次回は「日本人精神の復興に命捧げる覚悟で」というタイトルで紹介します。
先日、トラックバックが付いていたのですが、11月27日に田端さんの講演会が開かれるようですね。私の場合、場所が遠いのと日程が合わないので行けませんが…。詳細はこちらをご覧下さい。
田端さんの講演会東京であるようです。
11月の下旬です。
連絡ください
次を期待しています
田端さんがどんな考え方をしているのか、少し見えてくると思います。
後9話ほどあるので、じっくり観察してください。^^