前回に引き続き、北川さんと田端さんの対談を掲載します。
田端 今日はご足労いただき、ありがとうございます。
私が郷里の里に戻り、この阿蘇で「賢人塾」を始めたのが三十六歳でした。今年で十年目になりますが、実は一年間だけ北川先生の工房のすぐそばで暮らしていた時期があるんです。
北川 ああ、そうでしたか。
田端 断食も間違ってしまうと命取りになるので、きちんと実践された方にご指導いただこうとご相談に伺ったのですが、その時は先生がお忙しくてお目にかかることができませんでした。
北川 私も田端さんのお名前はお聞きしておりましたが、同じ阿蘇でこのような純和風な生活をされているとは思っていませんでした。
田端 ここでは基本的にガスや電気は使わずろうそくを立て、提灯を持ってトイレに行く。トイレも離れに一つあるだけで、台風の時でも傘をさしてそこに行くわけです。
かつて日本人が世界から尊敬されていた時代がありますでしょう。もう一度その精神を取り戻そうと、まずは自ら江戸中期の中流の武士の暮らしを実践しようとしているのです。和服で暮らし、茶道、華道、香道、書道、武道全般と、農業もやりながら晴耕雨読の日々を送っています。
北川 江戸中期の生活?
田端 例えば、実はこの部屋は竹(尺八)を吹く吹禅のための部屋なんです。江戸時代は虚無僧だけが寺社奉行の保護のもと竹を吹くことを許されていましたが、明治になると一般の人たちが音楽のために吹くようになった。意識を高め、呼吸を見るために吹いていたのが、娯楽のために吹くようになった。私はそういう明治維新以後に日本から排除されたものを取り戻したいのです。志を同じくする人たちには自己研鑽(けんさん)の場としてどうぞ自由にお使い下さい、と道場を始め十七の建物を開放しています。日本の方もそうですが、海外からいらした方はとてもお喜びになられますよ。
北川 門も石垣があって本当に武家屋敷のようです。そういえば、先ほど入ってくる時、小さなお子さんたちに出迎えられましたね。
田端 あれはですね、私の子どもたちと、日本の伝統的な文化や精神を学ばせたいというご両親の要望で預かっている子どもたちです。どこで話を聞いてこられるのか、三歳から七十代の老若男女の方々がおいでになられます。私はここを公表してはいないのですが、現代日本の荒廃に比例するようにして人が集まってくるのです。
以前、東京で事業をしていた頃、もう現代日本が嫌になってしまって、海外に移住しようと何度か試みました。しかし神の計らいなのかその都度失敗し、いまは日本の復興のために命を捧げることが我が天命と腹を括っています。
今日はここまでの紹介とします。次回は「中心軸をどこに定めるのか」というタイトルで紹介します。
田端 今日はご足労いただき、ありがとうございます。
私が郷里の里に戻り、この阿蘇で「賢人塾」を始めたのが三十六歳でした。今年で十年目になりますが、実は一年間だけ北川先生の工房のすぐそばで暮らしていた時期があるんです。
北川 ああ、そうでしたか。
田端 断食も間違ってしまうと命取りになるので、きちんと実践された方にご指導いただこうとご相談に伺ったのですが、その時は先生がお忙しくてお目にかかることができませんでした。
北川 私も田端さんのお名前はお聞きしておりましたが、同じ阿蘇でこのような純和風な生活をされているとは思っていませんでした。
田端 ここでは基本的にガスや電気は使わずろうそくを立て、提灯を持ってトイレに行く。トイレも離れに一つあるだけで、台風の時でも傘をさしてそこに行くわけです。
かつて日本人が世界から尊敬されていた時代がありますでしょう。もう一度その精神を取り戻そうと、まずは自ら江戸中期の中流の武士の暮らしを実践しようとしているのです。和服で暮らし、茶道、華道、香道、書道、武道全般と、農業もやりながら晴耕雨読の日々を送っています。
北川 江戸中期の生活?
田端 例えば、実はこの部屋は竹(尺八)を吹く吹禅のための部屋なんです。江戸時代は虚無僧だけが寺社奉行の保護のもと竹を吹くことを許されていましたが、明治になると一般の人たちが音楽のために吹くようになった。意識を高め、呼吸を見るために吹いていたのが、娯楽のために吹くようになった。私はそういう明治維新以後に日本から排除されたものを取り戻したいのです。志を同じくする人たちには自己研鑽(けんさん)の場としてどうぞ自由にお使い下さい、と道場を始め十七の建物を開放しています。日本の方もそうですが、海外からいらした方はとてもお喜びになられますよ。
北川 門も石垣があって本当に武家屋敷のようです。そういえば、先ほど入ってくる時、小さなお子さんたちに出迎えられましたね。
田端 あれはですね、私の子どもたちと、日本の伝統的な文化や精神を学ばせたいというご両親の要望で預かっている子どもたちです。どこで話を聞いてこられるのか、三歳から七十代の老若男女の方々がおいでになられます。私はここを公表してはいないのですが、現代日本の荒廃に比例するようにして人が集まってくるのです。
以前、東京で事業をしていた頃、もう現代日本が嫌になってしまって、海外に移住しようと何度か試みました。しかし神の計らいなのかその都度失敗し、いまは日本の復興のために命を捧げることが我が天命と腹を括っています。
人間学を学ぶ月刊誌「致知」2007.1月号より、北川八郎書籍
今日はここまでの紹介とします。次回は「中心軸をどこに定めるのか」というタイトルで紹介します。
私も失われた“虚無僧の精神”の復活を目指して活動しています。
素晴しいことですね!
私も、いま世の中に足りないものは「心」だと思います。「養心」を進める術は、やはり、昔を見直すべきだと思います。昔を知っている人が元気なうちに、若い人たちと手を取り合い、心のある社会に生まれ変わってもらいたいと考えています。