昨晩、第10回町並みと蔵展の実行委員会が開催されました。今回のテーマは、森の石松没後150年大祭に合わせて、「森の石松と広沢虎造」です。
広沢虎造といえば、ご存じの通り(年代によってはご存じでない方もいると思いますが)森の石松を世に知らしめ一躍スターにしてくれた浪曲師です。今回それを引き継ぐ愛好会の方が、西光寺の本堂で石松伝を謡ってくれます。日時は27日午後2時からで、28日午後1時30分からも、大洞院で浪曲奉納披露がされます。
地元に住んでいて恥ずかしくも知らなかったのですが、森の石松のくだりを作詞した方は、なんと丸七商店さんの島房太郎という人物だそうです。歌詞を書いた原書を見せていただきました。昭和7年に創られたようです。
茶商であった島さんは、当時、茶商の活性化を企てこの詞を考えたそうです。通りで、森の茶が歌詞に含まれているわけです。
これを聴いて目から鱗。実は、森の石松は商業戦略だったのです。三方良しとはよく言ったものです。ぴったりはまりますね。また、当時の茶商の力もすごかったんですね、売れっ子スターの広沢虎造さんに、こちらで創った詩を謡わせるなんて…。そういえば私が子どもの頃、山口百恵さんやドリフターズが講演に来たのを覚えています。今ではそんな大物芸能人などとても呼べませんが、昔は何かと力があったんですね。
詳しくはこちらをご覧下さい。第10回町並みと蔵展
広沢虎造といえば、ご存じの通り(年代によってはご存じでない方もいると思いますが)森の石松を世に知らしめ一躍スターにしてくれた浪曲師です。今回それを引き継ぐ愛好会の方が、西光寺の本堂で石松伝を謡ってくれます。日時は27日午後2時からで、28日午後1時30分からも、大洞院で浪曲奉納披露がされます。
地元に住んでいて恥ずかしくも知らなかったのですが、森の石松のくだりを作詞した方は、なんと丸七商店さんの島房太郎という人物だそうです。歌詞を書いた原書を見せていただきました。昭和7年に創られたようです。
茶商であった島さんは、当時、茶商の活性化を企てこの詞を考えたそうです。通りで、森の茶が歌詞に含まれているわけです。
これを聴いて目から鱗。実は、森の石松は商業戦略だったのです。三方良しとはよく言ったものです。ぴったりはまりますね。また、当時の茶商の力もすごかったんですね、売れっ子スターの広沢虎造さんに、こちらで創った詩を謡わせるなんて…。そういえば私が子どもの頃、山口百恵さんやドリフターズが講演に来たのを覚えています。今ではそんな大物芸能人などとても呼べませんが、昔は何かと力があったんですね。
詳しくはこちらをご覧下さい。第10回町並みと蔵展
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