踏みしめて

 カメのように一歩一歩しっかり踏みしめて、前へ進んで生きたいな、と思ってます。

災害ボランティア1

災害ボランティア1
「全国初」を次々に打ち出す災害ボランティア

 特定非営利活動法人ふくい災害ボランティアネット
 理事長   松森 和人 氏

 平成9年1月、ロシアのタンカー「ナホトカ号」が日本海で沈没、流出した重油が日本海沿岸を広域に渡り汚染し、環境を始め漁業、観光等に深刻なダメージを与えた。なかでも、船首部分が漂着した福井県三国町の被害は甚大であった。この一報に接するや現場に急行した地元ボランティアがいる。松森和人さん。復旧に流す汗は黒々と重油にまみれ、荒れる厳寒の海風に引きちぎられた。この時の松森さんの経験が、福井県を災害ボランティアの先進県へと変貌させていく。

ナホトカ号重油流出事故が残した課題


 ナホトカ号重油流出事故は阪神・淡路大震災から2年後のことであった。“震災時代”の若者を始め、ボランティアが美しい豊かな海を取り戻そうと全国から駆けつけた。その数9万人。その中に松森さんの姿もあった。

 この時、松森さんの脳裏を二つの疑問がよぎった。何故地元の福井県のボランティアが少ないのか。また、何故ボランティア活動全体が総合的にコントロールされていないのか。後者の疑問はすぐに解けた。行政側にもボランティア側にもボランティアを効果的に展開するための知識の蓄積がないことが原因だった。初動段階では県・三国町ともボランティア参加への問い合わせにすら具体的対応ができず、苦情を含めた電話が鳴り止まない事態さえ起きていた。

 災害ボランティア活動を県民に根付かせなくてはならない。加えて、災害ボランティア活動を総合的・効果的に実施するためのコーディネーターを育成することが何より急務だ。松森さんはこの時それを自分の課題とした。

災害ボランティアの原点


 「そりゃもう、いつも生傷の耐えないやんちゃ坊主」と少年時代を振り返る松森さん。がっしりした身体の上で笑った顔に白い歯が輝く。「街中を駆け回っては交通事故にあうこと3度。この子は大人になるまで生きていけないのではないかと親に言われました」。活動的なのは生来のもの。教科書で覚えることより、身体を動かして肌で感じることの確かさを知っていく。

 地域への目覚めは、19歳の時加入した青年団の活動を通してだったが、やがて20代前半、心にストンと落ちる言葉に出会う。

「自分の目で見て、自分の頭で考え、自分の言葉にして、共感できる仲間を作り、少しでも良い社会を作る。」

 小浜市の明通寺の住職・中島哲演さんから聞かされた言葉であった。「やんちゃ坊主」の視線が社会を見据え始めた。

 会社勤めのかたわら、「市民活動ネットワーク福井」というNPOの中間支援組織を設立し、まちづくりの支援をしてきた松森さんは、阪神・淡路大震災にも当然のように駆けつけた。この時35歳。松森さんはここで、防災という住民の生命・財産に直結する本物の危機への取り組みの重要さを痛感する。行政とボランティアとの緊密な連携の鍵を握るコーディネーターの役割がいかに大切かも身をもって知った。危機感を背負いながら阪神から福井に戻った松森さんは、災害にどう取り組めばよいかを過去に学ぼうと、様々な災害記録を調べ始める。そうするうちに、地元福井で昭和23年6月28日に起きた大震災(死者3,700人)の記録に行き当たった。

「もう、この時に災害ボランティアが大活躍していたのです。」

 東京のラジオから「福井地方で烈震が起き、福井市は死滅」という速報が流れた時、即座に動き出した人がいた。東京学生連盟代表の渡辺松美氏だった。彼は政府の救助方針を聞くため国会に走るが、状況確認ができるまで動くことができないとする政府の反応に、独自で救援活動に入ることを決断。発災3日目には自ら先遣隊を組織し、灰儘に帰した福井市に入った。被災地での情報収集は困難を極めたが、救助隊の手に握られていなければならない情報が、渡辺氏らの五感をフルに駆使した動態的な調査によって確実に集められていった。県でさえ作れなかった被害要図を完成させたのも彼らであった。

 2ヵ月後、救援活動が終了した時、渡辺氏をボランティアの英雄扱いする新聞記者に対し、氏はこう言ったという。

「組織が組織として機能したとき、英雄は生まれない。」

 松森さんは語る。「しびれました。感動しました。以来、これこそが災害ボランティアの私の原点であり、目標でもあるのです。」

災害ボランティアの専門団体設立へ


 ナホトカ号事故から3年後の平成12年、県はこの教訓を今後に役立てようと、「災害ボランティアハンドブック」の作成に取りかかる。その過程で論議された内容をベースに「福井県災害ボランティアセンター連絡会」(以下連絡会)が組織された。連絡会は、発災時の災害ボランティア本部を設置するための母体となる組織である。

 松森さんは、その立ち上げから、連絡会を舞台にした各種研修に積極的に関わった。しかし、県や参加団体の担当者は2,3年で交代する。知識やノウハウの蓄積が進まないまま連絡会が形骸しつつあることに危惧を抱いた松森さんは、災害ボランティアの専門団体をつくる必要性を感じ、平成13年4月、三国町で共に活動した仲間など十余人で任意団体「ふくい災害ボランティアネット」を設立、15年8月にNPO法人の認証を受けた。このNPOは現在、個人会員41名、賛助会員30口、事業規模は年間約600万円である。

 松森さんらはその後、県と協働し、平常時の防災組織研修や災害ボランティアコーディネイト研修の講師を務めるなど中心的役割を担いながら、これまでの研修や訓練のあり方に見直しを掛け、実践型のシステムに変えていった。平成16年2月、県職員とボランティア双方が参加し、災害時のシュミレーション研修を実施。6月には、東海地震を想定した福井県の独自事業として静岡・山梨に救援に行く実地研修「静岡・山梨突入訓練」も行った。



 

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