11月17~18日に、森町議会の議員視察で長野県小布施町に行ってきました。観光カリスマとして有名な土地ですので特に説明はいたしませんが、地理的条件はほぼ一緒で、人口・産業・町税等々概ね森町の半分ぐらいの規模となっています。ただ大きく違うところは、観光に訪れる人口が年間約120万人、森町では約110万人といわれています。これには「景観町づくり」という大きなプロジェクトが要因となっているようです。町づくりについて森町は、少なくとも小布施町より10年は遅れていると考えられます。それは町の総合計画が10年単位で行われるからです。
小布施町では役場担当課より町づくりの経緯について説明を受けました。その中で私が特に印象を持ったお話を説明します。
高度成長期の時代小布施町の人口は、9000人を切るほど落ち込んだそうです。現在は11616人(H20.4.1現在)で、当時危機感を感じた町は人口増加策を実施しました。また葛飾北斎の町として、芸術文化の町づくりを開始しました。それが功を奏し、2千人強の転入者が生まれました。
当時は行政主導で町づくりが進められたわけですが、何年か過ぎていくうちに、外部からの転入者の方たちがどんどん町づくりに立ち上がっていくのです。現在町づくり活動を主導しているほとんどの方達がこの転入者の方達だそうです。
外部からの転入者を快く受け入れる小布施住民の人柄と、芸術文化を愛する意識の高さが、小布施町の発展の鍵なのだと思いました。
森町を好いといってくれる、できれば住んでみたいという外部の方もたくさんいると思います。そんな方達をたくさん増やし、受け入れる体制づくりをもっともっとしていくべきだと思いました。
小布施町では役場担当課より町づくりの経緯について説明を受けました。その中で私が特に印象を持ったお話を説明します。
高度成長期の時代小布施町の人口は、9000人を切るほど落ち込んだそうです。現在は11616人(H20.4.1現在)で、当時危機感を感じた町は人口増加策を実施しました。また葛飾北斎の町として、芸術文化の町づくりを開始しました。それが功を奏し、2千人強の転入者が生まれました。
当時は行政主導で町づくりが進められたわけですが、何年か過ぎていくうちに、外部からの転入者の方たちがどんどん町づくりに立ち上がっていくのです。現在町づくり活動を主導しているほとんどの方達がこの転入者の方達だそうです。
外部からの転入者を快く受け入れる小布施住民の人柄と、芸術文化を愛する意識の高さが、小布施町の発展の鍵なのだと思いました。
森町を好いといってくれる、できれば住んでみたいという外部の方もたくさんいると思います。そんな方達をたくさん増やし、受け入れる体制づくりをもっともっとしていくべきだと思いました。
どこの役所も補助金でハードばかり作ります。だから全国同じものができてしまいます。文化の伴わない施設は一度見たら終わりです。
もちろん森の文化を守るのは地元住民ですが、発展拡大していくのは、外から入ってくる新しい血です。
議員先生の役目は、中と外の融合です。それと、外から森に入ってくる人に暖かく接する能力が役場の職員に必要です。私も、今まで8箇所住んできました。住んでみたいと感じる最初は、役所の対応です。先生の感じたことを、役場の職員に強く伝えて欲しいですね。住民がいて、議員も役場も存在するのだから。
誰でもできることではないので、亀澤先生の責任は重いですね。これからの、森町の子供のためにがんばってください。
最近は町づくりの端緒になった北斎に疑問の声を外部から聞き、本物も偽物も分からないのに、芸術文化ばかりを鼓舞する姿勢には、疑問を感じています。道も子供やお年寄りの歩行者に危ないし、どうかなと・・・恐らく見られたのは中心部でしょうが、周辺部に住む者には中心部にある学校までの通学路も心配です。外向け事業は観光客を誘致してお金を落としてもらうには大切ですが、何よりもまず、行政の責務は、そこに住む住民の暮らしを守ることだと思います。
いい小布施ドットコムなど(他に2ちゃんねる)にも書かれています。